おとなの夜学 第4期がはじまりました!

  • 2018年9月10日

私たちの暮らす岐阜のまちがこれまで育んできた文化や歴史を図書館から発信しよう、という、「おとなの夜学」。
おとなの夜学が今年も帰ってきました。岐阜ならではの異色な人々が集まり、「岐阜にいながら知らなかった岐阜のこと」を語ります。 2015年に第1期が始まってから変わらずたくさんの方が注目する、人気イベントで、今回で第4期目になりました。

8月22日(水)に開催された記念すべき今期第1回目のテーマは、
「タモリさんとブラブラ歩く-信長が夢見た'平和の都'を巡るバーチャルまちあるき-」。
昨年12月にNHKで放送されたブラタモリ・岐阜編は、ご覧になった方も多いのではないでしょうか。

今回の夜学はブラタモリ岐阜を再考する、ということで番組中の裏話なども伺いました。
ゲストはブラタモリで案内人を務められたおふたり、岐阜大学地域科学部学部長の富樫幸一さんと、岐阜市教育委員会社会教育課の高橋方紀さんです。富樫さんは金華から柳ケ瀬、加納までまちあるきガイドをされていた経験から地形や歴史地図を用いての解説を、そして高橋さんは長年信長居館跡の発掘にも関わってこられた経験を踏まえて織田信長公の岐阜の足跡を解説してくださいました。

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 織田信長、というと「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」ということばからもわかるように、残忍で残酷で、すぐ人を斬る恐ろしい武将、という歴史的なイメージを持たれているように思います。その織田信長が、「平和」を望んでいたのでしょうか。
 しかし、「おもてなし」という切り口で見ると信長がいかに客人を大切にもてなし、楽しませようとしたかという全く違った姿が
浮かび上がります。たとえば信長が建てた岐阜城とその周囲の庭園は大変華やかできらびやかで、軍事的な要素を持たず、客を招いてもてなすための迎賓館の役割を担っていたように見受けられる、と富樫先生はおっしゃいます。
 山麓の屋敷で食事を振る舞い、歌や踊りでもてなし、山上の城では金華山から城下町を臨む展望でもてなし、長良川では鵜飼でもてなす。そこにはそのおもてなしの数々で客人を驚かせ、満足させることを楽しんでいた信長の姿がありました。
人の喜ぶ顔を見ることを楽しむ、信長はとても人間的で、冷酷な恐ろしい人という歴史的な先行イメージとは全く違う人物像がうかがえます。

 また、ブラタモリの放送でタモリさんも注目していた、岐阜城の「チャート」。
金華山はおもに赤色や灰色をしたチャートと呼ばれる岩石でつくられています。チャートは、大昔海にいた放散虫が海底に蓄積しできた地層です。それが何億年・何百万年かけてプレート運動によって現在の位置に移動し、隆起し、侵食され現在の金華山の形になったのです。信長はこのチャートを城の石垣に使用し、岐阜城を築城しました。チャート層の岩石は非常に硬く、平野にそそり立つ山として残ったため、その山頂に築かれた岐阜城は威圧感のある、難攻不落の城のように感じます。そのような城を作ることによって「戦わずして勝つ平和な城」を築いたのだと番組でも解説されていました。自然の岩肌さえも自分の力を見せつける道具に変えてしまう、そんな力が織田信長にはありました。

 信長はとても見栄っ張りで、訪ねてくる客人に対して「どやっ」とばかりに力のある自分を見せつけたかったのではないか。そのようにゲストのお二人はおっしゃいました。そしてどのようにすれば世間に対して自分の力を一番効果的に見せることができるのか、を知っている、プロデューサーとしての力があった人物でもありました。 暴力ではない形で民を安全に守りながら、力のある自分をみせつけ世界を変えていきたいという革命家信長の想い、新たな姿を知った気がした第1回目のおとなの夜学でした。