岐阜町に育まれた明治の天才クリエイター -川合玉堂と勅使河原直治郎-

  • 2019年10月28日

 知らなかった岐阜を知る「みんなの図書館おとなの夜学」の第31回が、去る10月16日に行われました。かつて長良川の水運により多量の美濃和紙が持ち込まれた岐阜では、提灯、うちわ、和傘などの和紙の工芸産業が花開きました。明治にはヨーロッパを中心に流行したジャポニスムの中核をなした華麗な工芸品たち。それを牽引したのが岐阜在住の勅使河原直治郎というプロデューサーでした。彼と出会いその後日本画壇に大きな足跡を残したのが岐阜で幼少期を過ごした川合玉堂です。
 講師は岐阜県美術館学芸員の青山訓子さんとぎふのふ代表の関愛子さん。お二人からアートへの尊敬と愛情あふれるトークが展開されスクリーンに映し出される玉堂の作品に会場から嘆息がもれます。玉堂が東京に出てどんどん活躍の場を広げていった後も、紹介された勅使河原直治郎との手紙からは二人の親交の厚さが感じられました。意外とズケズケ言い合う仲だったみたい。玉堂は鮎が大変に好きだったりとか母校の岐阜小学校(当時は金華小学校と京町小学校)に絵を寄進したりするなど、岐阜で過ごした根っこは東京に行ってからも失わずにいたようで親近感がわきますね。
 岐阜に根を持つ天才絵師と岐阜市の工芸をつくりあげた名プロデューサー。岐阜市のプライドをまた一つ発見した今回の「おとなの夜学」でした。

おとなの夜学10.jpg