おとなの夜学 「鮎鮨、どうすか家康」を開催しました

  • 2023年3月21日

 知らなかった岐阜を知る「みんなの図書館 おとなの夜学」。第8期4回目を令和5年3月8日に開催しました。
 岐阜市内を通る「御鮨街道」は尾張藩が長良川・小瀬の鵜飼で獲った鮎を熟れ鮨に加工し徳川幕府に献上した道のり。徳川家康がその味に惚れ込み毎年お取り寄せしてきたその味の秘密に、漁師と研究家が迫ります。

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「熟れ鮨」とは魚をご飯に漬けて乳酸発酵させたもの。はじめに川漁師の平工さんに鮎熟れ鮨の作り方について解説していただきました。
 産卵間近の秋の錆鮎を塩漬にし、塩抜きした後内臓を取除いて腹に炊いたご飯を入れて樽に敷き詰めます。その上にさらに水で濡らしたご飯で覆います。これを約30日間重石にかけて発酵させると出来上がりです。家ごとに道具の形、塩抜きの塩梅が異なり、平工さんも試行錯誤しているそう。この鮎の熟れ鮨、今は冬に30日かけて作りますが、江戸時代は夏に5日間で作っていたそうです。

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 続いて郷土料理研究家の日比野さんが「すし」の歴史を紐解きます。「すし」は東南アジア発祥とされ、日本に渡ってきたのは700年頃。元は保存を目的とした調理法を指し、発酵に使った米は捨て魚だけ食べていたそうです。
 江戸期の鮎熟れ鮨の製法は岐阜市歴史博物館所蔵の「長良川鮎鮨図」に描かれています。絵を見ていくと作り方は現在とほとんど同じでした。昔と現代との違い、それは熟れ鮨を作る時期と期間のようです。

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 家康の時代と今とでは、気候、環境、食材の鮎や米の時期、味付け、そして「美味しい」と感じる価値観が異なります。鮎熟れ鮨は岐阜の夏の味として「美味しい」と思っていたからこそ、江戸幕府が続いていた300年間ずっと献上され続けてていたのではないか?漁師と研究家の推理は尽きず、続きは次にとすることで一旦閉幕しました。

※諸事情により出演者が変更となりました

おとなの夜学 第46夜「鮎鮨、どうすか家康」動画
https://www.youtube.com/watch?v=uPYnswmFqHY