おとなの夜学 「その時岐阜が動いた~明治の旦那衆・戦後復興のハルピン街から令和の岐阜を考える~」を開催しました

  • 2023年9月17日

 

知らなかった岐阜を知る「みんなの図書館 おとなの夜学」。第9期1回目を令和5年8月25日に開催しました。
明治から戦後にかけて岐阜のまちはどのようにつくられていったのか。景観の研究者である出村さんと、闇市を研究している石榑さんとともに、これからの岐阜について考えました。

はじめに出村さんから明治から戦前にかけての岐阜市中心部の成り立ちについて、お話を聞きました。当時の「公共事業」は行政主導ではなく、まちの有力者、いわゆる旦那衆が主導して行う、現代とは真逆の形が主流でした。ただ旦那衆の中でも、保守派や改革派など派閥間で対立が生まれたそう。こうした対立は、より良いまちにしていこうという中で生まれるものであり、現代においても、みんなで話し合いながらまちづくりをする過程に通じる重要なポイントである、と出村さんは言います。

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 続いて、今現在も現地でフィールドワークを続けている石榑さんから、その成果とともにハルピン街や闇市についてお話しいただきました。ハルピン街とは、第2次世界大戦後、岐阜市駅前に北満州からの引揚者が多く集まり開かれていた市場のこと。戦後の闇市に、北満州からの引揚者が多く流入したため、行政は中心市街地8か所に公認市場を設け、一帯がハルピン街と呼ばれるようになりました。昭和50年代頃、ハルピン街の人々は繊維業に集団転業し、人が多く集まる国鉄沿いに移動して現在の繊維問屋街へ繋がっていったそうです。

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 当時の暮らしや活動がわかる記録や写真から、人々は自分たちが住むまちをどのようにつくっていくか、まちづくりを自分事として考え、行動していたことが分かりました。現代においては行政が主導して行うまちづくりが主流となっていますが、「まち」は誰のものなのか、また、まちづくりとは何かについて、改めて考える機会となりました。

おとなの夜学 「その時岐阜が動いた~明治の旦那衆・戦後復興のハルピン街から令和の岐阜を考える~」動画
https://www.youtube.com/watch?v=O4btxptAAww&t=31s