トークセッション「土に根差すもの、風景の記憶 -徳山村が残したもの-」を開催しました!

  • 2018年11月27日

 11月10日(土)、みんなのホールで映画「ふるさと」の上映と、トークセッション「土に根ざすもの、風景の記憶‐徳山村が残したもの‐」を行いました。 第一部の映画上映では、消えゆく徳山村の美しい自然の中での老人と少年の絆に涙を流される方もいました。

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 第二部のトークセッションでは、児童文学作家の平方浩介さんと、写真家であり、映画監督でもある大西暢夫さんをゲストに、吉成館長とトークを繰り広げました。 平方さんは映画「ふるさと」の原作「じいと山のコボたち」の作者で、映画撮影当時は全校で20名程度の小さな学校、徳山村徒入分校の教員をつとめていました。平方さんは「自分は何も教えていない、子どもから学ぶことばかりだった」とおっしゃいます。
 また、「よく子どもは未完成な人間だといわれるけど、子どもこそが完成された人間で、そして、年を重ねるごとにだんだんと壊れていくものなのだ」、という言葉も印象的でした。大人が子どもより優れているのは経済行為など限られた場面のみであって、子どもと付き合う中で自分を恥ずかしい存在だと感じられたそうです。徳山村で子どもと向き合い、過ごしてこられた平方さんの「子ども観」にはとても説得力がありました。

 大西さんが初めてこの映画「ふるさと」を観たのは中学生の時。池田町出身で徳山村が近かったこともあり、映画を観る前は日本一のダムが近所にできる!という誇らしささえ感じていたそうです。しかし、学校で見た映画に衝撃を受け、「人前でなんて絶対に泣きたくない年代だったけれど泣いてしまった、本当に泣いてしまった」、という言葉が心に残りました。その後、「カメラばあちゃん」の愛称で呼ばれた徳山村のアマチュア写真家、増山たづ子さんの写真展の手伝いをしたことをきっかけに徳山村とそこに生きる人々を追い始めます。日が暮れたら眠る、自然の中でつつましく生きる、動くものはとにかく抑え込む、いわば「動くものはすべて食べ物だ!」と言わんばかりの野性的な、'攻め'の生活。「徳山は衝撃的におもしろかった」のだという大西さんの言葉もありましたが、トークセッションを聞いていると、自然の中で生きること、死ぬこと。ダムの話だけでは語りきれない圧倒的な【何か】を感じました。

 そして、「徳山村」はまだ終わっていません。大西さんは村の「その後」を今も追い、映画「水になった村」を撮り、そしてその後日談としていま新たに本にまとめているそうです。映画を撮っていた時にはわからなかった言葉も、今だから理解できるそうです。

 自然とともに生きるということ、死ぬということ。記録すること。記憶すること。これから岐阜で暮らしていこうとする私たちは、徳山のかつての暮らしも、今の私たちの暮らしも、残していきたい、忘れることなく残していかなければならない、そんなことを考える時間となりました。

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