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おとなの夜学 第55夜「続・その時、岐阜が動いた」を開催しました

ブログ2025/10/24

おとなの夜学 第55夜「続・その時、岐阜が動いた」を開催しました

最新研究報告 ハルピン街から繊維問屋街まで

 第11期の夜学が始まりました。2023年開催の第47夜『その時 岐阜が動いた』の続編として、今まさに再開発により姿を消しつつある『街』の記憶と記録、そこに生きる人たちの物語を、若き4人の研究者集団 [繊維問屋街研究体] が、それぞれの専門分野の視点から調査報告をしてくれました。

 きっかけは2022年春、岐阜駅前繊維問屋街の再開発がニュースで流れたことからはじまります。岐阜の繊維問屋街をテーマに博士論文を書き、卒業後も県外からずっとその動向を気にしていた荒木さんは「ボヤボヤしてたら町がなくなっちゃうんじゃないか」との思いから、建物や建築、都市計画など専門が異なる4人の研究者に声かけて繊維問屋街研究体は結成しました。これまでに20回以上の調査を進め、多面的に繊維問屋街の歴史を紐解いてきました。

 彼らは研究者として調査結果を論文に書くことだけに留まらず、「今、岐阜に生きる人たちのどうやって届けられるか」を大事にして活動しています。それは、この調査を通じて得た地域史は、人々が営んできた日々を土地の出来事をつなげる歴史とも言えるからです。

 例えば昔の電話帳の中に曽祖父の名前が出てきたりなど、調査をしている中で土地と家族とのつながりを実感として感じることが結構あったそう。 岐阜の繊維の話だったり、家庭のミシンとおばあちゃんの話、お母さん話など、昔のいろんな人の生活や暮らしなどの話は文化として、研究の専門関係なく、真ん中の家族と、駅前の都市空間がつながる結束点である。というのが重要なポイントと思っているそうです。

 戦後日本人が立ち上がっていくプロセスでは、一つ一つの小さな家族の小さな営みが集まり、家庭の規模、生業、小さな収入、そういったものを一個一個積み上げていった結果として、その産業が日本を成長させたのではないでしょうか。この小さな家族単位の頑張りの根源、その礎の上に今、この岐阜市があるのかもしれません。繊維問屋街をぜひ訪れてみたくなる一夜でした。

 イベントの様子を記録した動画がおとなの夜学ホームページから見られます。気になる方はぜひ動画をチェックしてみてくださいね。
おとなの夜学Youtubeページ(別のページに移動します)


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