年始早々に開催されてから少し間が開きましたが、「みんなの図書館おとなの夜学」の第3回となる「長良川鵜飼が天皇の鵜飼になった理由(わけ)-秘話かざをりゑぼし-」を2月26日(金)に開催しました。
前回は昼の開催でしたが、今回から夜の開催に戻りました。
第3回のパネリストは鵜飼をめぐる歴史を語っていただくに相応しいお2人です。
一人は岐阜のお座敷遊びや船遊びなどの遊宴文化の研究・再生に取り組む鳳川伎連事務局長の小野崎隆賢さん。もう一人は、諸事情により本来予定されていた岐阜市教育委員会社会教育課の内堀信雄さんに代わり、同課より鳥本浩平さんに出席いただきました。
今回の対談の進行もORGANの蒲勇介さんが務めます。
会場となった「かんがえるスタジオ」にお座敷に見立てた畳のセットを用意し、小野崎さん・鳥本さん・蒲さんが座りながらトークしていきます。
冒頭に小野崎さんと鳥本さんの紹介があり、そのあとに長良川鵜飼と船遊び、お座敷遊びなどの遊宴文化についての映像を参加者の方に観ていただきました。
「構想10年、撮影5年」という超大作の映像。
内容は岐阜市歴史博物館で所蔵している「鵜飼遊楽図」などの近世以降の長良川鵜飼と船遊びを描いた絵画や、明治期から現在に至るまでの岐阜におけるお座敷芸とそれにまつわる文化、実際の船遊びやお座敷遊びの様子などが紹介され、小野崎さんからそれについて解説をいただきました。
続いて、「日本遺産」とはどういったものか、また『「信長公のおもてなし」が息づく戦国城下町・岐阜』が「日本遺産」に認定されるまでの過程などを鳥本さんが解説され、長良川や鵜飼がもつ「見せる文化」と、岐阜町の花街文化が組み合わさってできたものこそ岐阜の遊宴文化である、とその意義を強調されました。
その後、「かざをりゑぼし」の誕生秘話の映像が初上映されました。
明治政府誕生後、初代司法大臣となった山田顕義が長良川鵜飼を観覧した時に、船遊びに興じて詠んだ詩をもとにつくられた「かざをりゑぼし」。
ちなみに、その「かざをりゑぼし」が誕生するまでの歴史を、蒲さん夫妻が映像の中で熱演されていました。
山田顕義が読んだ詩をもとに、山田顕義と一緒に鵜飼を観覧していた加藤ひならの尽力により曲と舞が付けられ、それが今に伝わっているそうです。
「きみにささげんあゆのうを」という詩が本来は明治天皇への鮎献上を詠ったものとされていますが、「きみ」は一緒に鵜飼を観覧していた加藤ひなに対する想いも秘められているのでは、と小野崎さんは指摘され、さらに長良川・鵜飼・鵜匠の衣装・鮎のことを同時に詠い、その情景を思い浮かべることができる詩の素晴らしさを鳥本さん・小野崎さんとも強調されていました。参加者の皆さまも「かざをりゑぼし」の奥深さを知ったようでした。
そして最後に「かざをりゑぼし」の舞を幇間の喜久次さんに舞っていただきました。
宴会などで客同士、また芸者と客の間を取り持ち、場を盛り上げ楽しくする幇間。
現在は全国でも数名しかおらず、西日本では喜久次さんのみという、稀有な方で、NHKのテレビドラマでも取り上げられた方です。夜学のために奈良から戻られ、終わったらまた奈良に戻るというタイトなスケジュールの中、来ていただきました。
「かざをりゑぼし」を舞う喜久次さんの所作は、とても凛としていて、手先・足先まで意識をされていたのがわかります。舞で詠んだ場面を見立てることで、より情景が鮮明になりました。
「かざをりゑぼし」で終わると思いきや、さらに雛祭りが近いということでももう1曲、季節にちなんだ「御所のお庭」という舞を舞っていただきました。
そして、それで終わりかと思ったら、さらにもう1曲!
当館館長のジャケットを借りて、「さのさ」という男女の逢瀬をテーマにした「チャリ舞」を、金屏風を上手に使いながら舞っていただき、今回の夜学は終了しました。
参加者からは「鵜飼の歴史がよくわかった」「お話、舞、芸、盛りだくさんの楽しい時間でした」「喜久次さんの舞が見られてよかった」など、好評をいただきました。
第4回の「古墳をめぐる物語 古代の岐阜ってどうだったの?-日本最大級の古墳集積地で語る-」は、3月15日(火)に開催します!